毎日通っている道にも新しい発見があったりする。
ここ、富久町西の交差点にそれはあった。
靖国通りを新宿方面に向かって撮ったもの。
外苑西通りは右側(北)へ延長工事が行われている。
新しい発見は、左側、新宿1丁目にあった鉄板モニュメント。
松屋とステーキハウスの前にある植え込みの中にそれはあった。
お馬さんのようだ。説明書きがあった。
江戸時代、なにもなかった場所に内藤新宿が誕生する。
街道沿いは、賑わったけれど、内藤新宿の北側にあたるこのあたりは、
静かな場所だったそうだ。そして、明治から大正時代、ここに牧場があったそうだ。
ネットで調べたらこのあたりは、
芥川龍之介の実父新原敏三が
1888年(明治21年)から1913年(大正2年)まで
牧場を経営していたそうだ。
そのためこの一帯を「牛屋ヶ原」と呼んでいたそうだ。
「うしやがはら」だろうか、それとも「ぎゅうやがはら」だろうか。
ご存じの方がいたら、教えていただきたい。
新宿二丁目のほがらかな人々
クチコミを見る
ここ、富久町西の交差点にそれはあった。
靖国通りを新宿方面に向かって撮ったもの。
外苑西通りは右側(北)へ延長工事が行われている。
新しい発見は、左側、新宿1丁目にあった鉄板モニュメント。
松屋とステーキハウスの前にある植え込みの中にそれはあった。
お馬さんのようだ。説明書きがあった。
江戸時代、なにもなかった場所に内藤新宿が誕生する。
街道沿いは、賑わったけれど、内藤新宿の北側にあたるこのあたりは、
静かな場所だったそうだ。そして、明治から大正時代、ここに牧場があったそうだ。
ネットで調べたらこのあたりは、
芥川龍之介の実父新原敏三が
1888年(明治21年)から1913年(大正2年)まで
牧場を経営していたそうだ。
そのためこの一帯を「牛屋ヶ原」と呼んでいたそうだ。
「うしやがはら」だろうか、それとも「ぎゅうやがはら」だろうか。
ご存じの方がいたら、教えていただきたい。
新宿二丁目のほがらかな人々
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