前回の散歩のあと、四谷三栄町にある
「新宿歴史博物館」に寄った。
そこには新宿駅周辺の昔の地図が展示してあったのだが、
これが実に興味深かった。
店の名前などがちゃんと入っている地図で、
たしか大正時代くらいのものだったと思う。
東口から今の東南口にかけての道はいまあるものとたいして変わらない。
甲州街道に出る手前にある店が「信州屋食堂」とういう名前だった。
これは、今の長野屋食堂の場所ではないか。きっとそうだ。
というわけで、長野屋食堂へ行ってみることにした。
が、その日は水曜日で定休日だった。くーっ。
で、隣のビルの二階にある「麺屋海神」に行くことにした。
食べログで「新宿×ラーメン」と検索すると、今は「風雲児」が最高得点だが、
以前はここがいちばんだった。
店内に入るとお昼時ということもあって満席。
かろうじて空いている席に座る。
カウンターに座っていた3人のグループが店を出て行くと、
壁に張り出された「本日のアラ」が目に入る。
そう、ここは魚のアラでダシを取るラーメンなのだ。
入荷したアラによって毎日スープの味が違うというのもなんだか楽しい。
というわけで、「あら炊き塩らぁめん」を注文。
しばらくして出てきたラーメンのなんと美しいことか。
スープが黄金色に透き通っている。ルックスが実に個性的で、類型が思い浮かばない。
白髪葱や茗荷のトッピングがなんとも素敵。
一口飲めば、上品な味わいと香りが広がる。
これは大人の味だ。麺は細麺。この上品なスープによく合う。
鳥とエビのつくねがこれまた食べ応えがある。
日本酒でも飲みたくなるような、「料理」ともいえるラーメンである。
さて、お腹もいっぱいになったところで、ブラブラ歩こう。
いい天気だ。今年は秋になっても暑い日が多い。
昔は新宿駅に東南口はなかった。このあたりもずいぶん変わったというか、スッキリした。
僕が知っているのは昭和の終わり頃からだが、このあたりはゴチャゴチャといろいろなお店があったような気がする。
たとえば、「ガバチョ」という店があった。ランチをよく食べに行ったものだ。
裏メニューでガバチョライスというのがあって、賄いメニューなんだけど、肉や野菜の餡かけをライスにかけたものなんだけど、これがうまかったのだ。
今はもう食べられない記憶の中にしかない食い物ってなんだか自分の中でどんどんイメージが肥大化していくような気がする。
さて、甲州街道をきょうも玉川上水跡を歩こう。
西新宿一丁目の交差点を過ぎる。
きょうもあおい通りを行く。
このあたりも昔に比べるとずいぶん歩きやすくなっている。
このところ、ずっと玉川上水跡を歩いている。
駅から10分歩けば、戻るのに10分で20分歩くことになる。
そんなかんじで散歩をするのもなかなか楽しいものだ。
箒銀杏の樹というのがあった。
渋谷区が建てた看板がある。
この文章を読むと
かつて玉川上水が流れていた頃のこのあたりの景色は、
のどかなものだったんだなとかんじさせる。
さて、今回はこのあたりで新宿駅へ引き返そう。
今度はもっと遠くまで行くよ。
「新宿歴史博物館」に寄った。
そこには新宿駅周辺の昔の地図が展示してあったのだが、
これが実に興味深かった。
店の名前などがちゃんと入っている地図で、
たしか大正時代くらいのものだったと思う。
東口から今の東南口にかけての道はいまあるものとたいして変わらない。
甲州街道に出る手前にある店が「信州屋食堂」とういう名前だった。
これは、今の長野屋食堂の場所ではないか。きっとそうだ。
というわけで、長野屋食堂へ行ってみることにした。
が、その日は水曜日で定休日だった。くーっ。
で、隣のビルの二階にある「麺屋海神」に行くことにした。
食べログで「新宿×ラーメン」と検索すると、今は「風雲児」が最高得点だが、
以前はここがいちばんだった。
店内に入るとお昼時ということもあって満席。
かろうじて空いている席に座る。
カウンターに座っていた3人のグループが店を出て行くと、
壁に張り出された「本日のアラ」が目に入る。
そう、ここは魚のアラでダシを取るラーメンなのだ。
入荷したアラによって毎日スープの味が違うというのもなんだか楽しい。
というわけで、「あら炊き塩らぁめん」を注文。
しばらくして出てきたラーメンのなんと美しいことか。
スープが黄金色に透き通っている。ルックスが実に個性的で、類型が思い浮かばない。
白髪葱や茗荷のトッピングがなんとも素敵。
一口飲めば、上品な味わいと香りが広がる。
これは大人の味だ。麺は細麺。この上品なスープによく合う。
鳥とエビのつくねがこれまた食べ応えがある。
日本酒でも飲みたくなるような、「料理」ともいえるラーメンである。
さて、お腹もいっぱいになったところで、ブラブラ歩こう。
いい天気だ。今年は秋になっても暑い日が多い。
昔は新宿駅に東南口はなかった。このあたりもずいぶん変わったというか、スッキリした。
僕が知っているのは昭和の終わり頃からだが、このあたりはゴチャゴチャといろいろなお店があったような気がする。
たとえば、「ガバチョ」という店があった。ランチをよく食べに行ったものだ。
裏メニューでガバチョライスというのがあって、賄いメニューなんだけど、肉や野菜の餡かけをライスにかけたものなんだけど、これがうまかったのだ。
今はもう食べられない記憶の中にしかない食い物ってなんだか自分の中でどんどんイメージが肥大化していくような気がする。
さて、甲州街道をきょうも玉川上水跡を歩こう。
西新宿一丁目の交差点を過ぎる。
きょうもあおい通りを行く。
このあたりも昔に比べるとずいぶん歩きやすくなっている。
このところ、ずっと玉川上水跡を歩いている。
駅から10分歩けば、戻るのに10分で20分歩くことになる。
そんなかんじで散歩をするのもなかなか楽しいものだ。
箒銀杏の樹というのがあった。
渋谷区が建てた看板がある。
この文章を読むと
かつて玉川上水が流れていた頃のこのあたりの景色は、
のどかなものだったんだなとかんじさせる。
さて、今回はこのあたりで新宿駅へ引き返そう。
今度はもっと遠くまで行くよ。
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