ふとしたきっかけで、トキワ荘の漫画家たちが食べたラーメン店が
まだ現存するというのを知り、行ってみたくなった。
最寄り駅は大江戸線の落合南長崎駅、
あるいは西武池袋線の椎名町駅か東長崎駅といったところだ。

目指すは「松葉」という中華料理屋。
その前に「南長崎花咲公園」に寄ろう。
南長崎花咲公園

この公園内にはトキワ荘の記念碑などがある。
南長崎花咲公園 トキワ荘記念碑

ここにはかつてのトキワ荘のミニチュアがある。
こういう外観だったのかというのを頭に入れよう。
南長崎花咲公園 トキワ荘

その下には、トキワ荘のヒーローたちが並んでいる。
トキワ荘のヒーローたち

こういう漫画家さんたちが住んでいたんだ。
説明書きによれば、最初に住んだのは手塚治虫で、1953年から1954年。すぐそのあとで、その向かいの部屋に寺田ヒロオが住んだ。それから、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ)、水野英子、鈴木伸一、森安なおやといった人たちである。
トキワ荘通り

この公園の前の道の街路灯に「トキワ荘通り」というノボリがつけられている。
この通りには、かつての街並みの記憶として、看板があったりする。
たとえば「鶴の湯跡」。
トキワ荘通り 鶴の湯跡

せっかくの看板なのだが、なんだか見づらい場所にある。
また、この赤ちゃんとお母さんの写真がなんなのかもよくわからない。
こういう看板はうれしいのだが、もっとどうにかならないかとも思った。
さらにそう思わせるのは、次の写真。
トキワ荘通り 古い写真

ガムテープで貼られた写真。
手書きで「北海屋さんの店頭 買物客風景 昭和30年頃」
こういうのはうれしい。うれしいのだが、ここが何屋なのかもわからない。
そして進めば、「松葉」さんがあった。

松葉外観


「松葉」さんの向かい側の路地の入り口に「トキワ荘跡入り口」看板があった。
トキワ荘跡入り口


先に進むと、普通の会社のビルがあった。
でも、それだけなのだ。トキワ荘に関するものはなにもない。
ちょうどそのとき、自転車に乗ったカップルが「ここ、ここ。トキワ荘の跡だぁ」とやってきたが、
何もないので、自転車を降りずに帰って行った。
さあ、「松葉」へ行こう。時刻は12時13分。混んでいるといやだなぁ。
ちなみにこの日は水曜日。あれれ、誰もいない。ちょっと拍子抜け。
奥からお店の女性が出てきて、テレビをつけ、水を出してくれた。
テレビはNHKのニュースでチリ鉱山の落盤事故の救出の様子を映し出している。
画面のすみっこに「アナログ」の文字が出ていた。
やはり、ラーメンにしよう。そう注文したあとで、壁に貼られたメニューを見ていると……。
「松葉」メニュー

「トキワ荘ラーメンライス 680円」というのが目にとまった。
すでに調理を始めている店の人に大声で修正をお願いする。
そうか、ラーメンライスかぁ。懐かしいなぁ。
最後にラーメンライスを食べたのはいつ頃だろうか。
僕が学生の頃は、中華料理屋でラーメンライスを頼む人はけっこういたが、
最近、そういうのはあまり見ない。と、12時20分にラーメンライス到着!
「松葉」 トキワ荘ラーメンライス

スープをすすって、ああぁ、これはラーメンライスにしてよかったと思った。
実にご飯によく合うスープだ。
松葉 ラーメン

刻んだネギにゆで卵が半分乗っている。
味の濃い、噛み応えのあるチャーシュー、メンマやワカメもご飯のおかずになる。
「松葉」ラーメン

モーレツにうまいぞぉ。麺をズルズル食べながら、飯を頬張る。
おしんこがこれまたうまい。ラーメンライスを食べていると、
トキワ荘の漫画家さんたちのことではなく、
自分の人生で食べたラーメンライスについてあれこれ蘇ってきた。
金がなかった大学生の頃、たまにラーメンライスを食べたが、あまりおいしくなかった。
だから自分がこれまでに食べたラーメンライスはさほど多くはないのだが、
この「松葉」のラーメンライスは自分の生涯でいちばんおいしかったラーメンライスであると、断言しよう。
お腹いっぱいで店をあとにした。めちゃくちゃ満足だ。



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