今年ももうすぐ11月25日が来る。
三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で決起を呼びかけたが、失敗し、割腹自殺を遂げた事件が起こったのが
1970(昭和45)年11月25日だった。
まだ生まれていないという人も多いだろう。
僕は小学校6年生だった。
そんなわけで、今回はその事件の現場、市ヶ谷にある防衛省へ行ってみた。
市ヶ谷駐屯地、現在は防衛省のある場所は
JRの市ヶ谷駅と四谷駅の間くらいに位置している。
勤労感謝の日で、お休みということもあり、正門の前は人が少ない。
車の通りも少ない。
かつて、今の正面玄関よりも新宿寄りに入り口があったようだ。
僕は見たことはないのだが、散歩の途中に寄った喫茶店で、
「昔は、この前に門があったので、人の出入りも多かったんだけど」
と、喫茶店の方が嘆いていたのを聞いたことがある。
この場所は、江戸時代には尾張徳川藩の屋敷があった。敷地内の樹木を見ていると、お屋敷があった頃を想像してしまう。
明治になってから陸軍士官学校となり、昭和になってからは陸軍参謀本部が置かれた。
そして、戦後は極東軍事裁判の法廷となり、その後、三島事件の舞台になるわけだ。
まさにさまざまな歴史が刻まれた場所であるといっていい。
申し込み制だが、防衛省は内部の見学を許可している。
次回は、内部の様子についてレポートしたい。
三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で決起を呼びかけたが、失敗し、割腹自殺を遂げた事件が起こったのが
1970(昭和45)年11月25日だった。
まだ生まれていないという人も多いだろう。
僕は小学校6年生だった。
そんなわけで、今回はその事件の現場、市ヶ谷にある防衛省へ行ってみた。
市ヶ谷駐屯地、現在は防衛省のある場所は
JRの市ヶ谷駅と四谷駅の間くらいに位置している。
勤労感謝の日で、お休みということもあり、正門の前は人が少ない。
車の通りも少ない。
かつて、今の正面玄関よりも新宿寄りに入り口があったようだ。
僕は見たことはないのだが、散歩の途中に寄った喫茶店で、
「昔は、この前に門があったので、人の出入りも多かったんだけど」
と、喫茶店の方が嘆いていたのを聞いたことがある。
この場所は、江戸時代には尾張徳川藩の屋敷があった。敷地内の樹木を見ていると、お屋敷があった頃を想像してしまう。
明治になってから陸軍士官学校となり、昭和になってからは陸軍参謀本部が置かれた。
そして、戦後は極東軍事裁判の法廷となり、その後、三島事件の舞台になるわけだ。
まさにさまざまな歴史が刻まれた場所であるといっていい。
申し込み制だが、防衛省は内部の見学を許可している。
次回は、内部の様子についてレポートしたい。
コメント
http://www.boueinews.com/geki/index.html
全国から研修や訓練で市ヶ谷に来た隊員さんが買って行くそうです。
見学ツアーでも、自衛隊オリジナルの饅頭や煎餅は人気でしたね。
あと、イラ管クッキーとかもありました。
僕は自衛隊手帳を買おうか迷いましたが結局買いませんでした。
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