防衛省は一般の人でも事前に予約すれば見学できる。
というわけで、本日、11月25日、防衛省の市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)に参加してきた。
きょうがどういう日かといえば、前回のブログでもご紹介したが、
三島由紀夫がクーデターを起こそうと、市ヶ谷駐屯地に乱入し、自決をした日である。
この日、午前の部は満員だったが、幸い午後の部が空いていた。申し込んだのはちょうど一週間前の18日だった。
集合してきた参加者は100人くらいだろうか。けっこう多い。
11月25日で三島由紀夫の命日だからこんなに多いのかと思ったら、
そうではないようだ。
案内の自衛官の方による説明では、
10月末にこのツアーのことがNHKのテレビで取り上げられ、
以来人気となって、とにかく予約を取るのが大変なのだそうだ。
ネットだと1週間くらい先なら予約できるというかんじだったが、
電話の場合はつながりにくいのだとのこと。
というわけで、13時10分に受付をすませ、ツアーに参加した。
防衛省の敷地の中を散歩して見てまわる。
ただし、自由にあれこれ見学できるわけではなく、集団で決められたコースを歩いて回るのである。
最初の注意では、途中、先に帰ることもダメだと言われる。
まずは、エスカレーターで上にあがる。
防衛省の正門は外堀通り沿いにあるが、建物がある敷地はそこから高い場所にあるのだ。
儀仗広場へ向かう。ここは、海外の要人たちがこられた場合、
ここでむかえるのだそうだ。
それにしても紅葉が美しい。
三島由紀夫が自決したあの日も、こんな紅葉があったのだろうか。
庁舎A棟から順に案内されて、いちばん奥まった場所にある市ケ谷記念館へ。
市ケ谷記念館は、かつて庁舎A棟にあったのだが、
保存のためこの場所の移築されたのだそうだ。
戦後ここは、極東裁判が行われた場所である。
それ以前は、陸軍の参謀本部、その前は陸軍士官学校であった。
士官学校時代の校長室はその後、陸軍大臣室となり、自衛隊の時代は陸上自衛隊東部方面総監の執務室だった。
そして、三島由紀夫が東部方面総監を人質にとったのはこの部屋である。
案内をしてくださる若い女性が、三島由紀夫の事件のときについたドアの刀傷あとを紹介してくれた。
多くの人がカメラを向ける。実に生々しい刀傷だった。
ふとこの執務室の窓を見ると、三島由紀夫が自衛隊員たちに決起を促したバルコニーがあった。
このあと、売店へ寄ったりして、ツアー終了。2時間10分のツアーだった。
午前のツアーのほうがもう少しいろいろ見ることができるみたいで、次はそちらに参加してみたいと思う。
昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃 (幻冬舎新書)
クチコミを見る
というわけで、本日、11月25日、防衛省の市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)に参加してきた。
きょうがどういう日かといえば、前回のブログでもご紹介したが、
三島由紀夫がクーデターを起こそうと、市ヶ谷駐屯地に乱入し、自決をした日である。
この日、午前の部は満員だったが、幸い午後の部が空いていた。申し込んだのはちょうど一週間前の18日だった。
集合してきた参加者は100人くらいだろうか。けっこう多い。
11月25日で三島由紀夫の命日だからこんなに多いのかと思ったら、
そうではないようだ。
案内の自衛官の方による説明では、
10月末にこのツアーのことがNHKのテレビで取り上げられ、
以来人気となって、とにかく予約を取るのが大変なのだそうだ。
ネットだと1週間くらい先なら予約できるというかんじだったが、
電話の場合はつながりにくいのだとのこと。
というわけで、13時10分に受付をすませ、ツアーに参加した。
防衛省の敷地の中を散歩して見てまわる。
ただし、自由にあれこれ見学できるわけではなく、集団で決められたコースを歩いて回るのである。
最初の注意では、途中、先に帰ることもダメだと言われる。
まずは、エスカレーターで上にあがる。
防衛省の正門は外堀通り沿いにあるが、建物がある敷地はそこから高い場所にあるのだ。
儀仗広場へ向かう。ここは、海外の要人たちがこられた場合、
ここでむかえるのだそうだ。
それにしても紅葉が美しい。
三島由紀夫が自決したあの日も、こんな紅葉があったのだろうか。
庁舎A棟から順に案内されて、いちばん奥まった場所にある市ケ谷記念館へ。
市ケ谷記念館は、かつて庁舎A棟にあったのだが、
保存のためこの場所の移築されたのだそうだ。
戦後ここは、極東裁判が行われた場所である。
それ以前は、陸軍の参謀本部、その前は陸軍士官学校であった。
士官学校時代の校長室はその後、陸軍大臣室となり、自衛隊の時代は陸上自衛隊東部方面総監の執務室だった。
そして、三島由紀夫が東部方面総監を人質にとったのはこの部屋である。
案内をしてくださる若い女性が、三島由紀夫の事件のときについたドアの刀傷あとを紹介してくれた。
多くの人がカメラを向ける。実に生々しい刀傷だった。
ふとこの執務室の窓を見ると、三島由紀夫が自衛隊員たちに決起を促したバルコニーがあった。
このあと、売店へ寄ったりして、ツアー終了。2時間10分のツアーだった。
午前のツアーのほうがもう少しいろいろ見ることができるみたいで、次はそちらに参加してみたいと思う。
昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃 (幻冬舎新書)
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コメント
買いませんでした。でも、人気でしたね。
他の人たちはけっこう買ってましたよ。
近所なんで、また行こうかと思ってます。
いつもコメントありがとうございます。
三島の割腹自殺のとき、僕は小学校6年生でした。
このツアーでは、歴史的な事実として紹介されてましたね。
それにしても刀傷はまだ生々しいものでした。
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