あなたは、2000年12月30日の深夜から翌31日の午前中、あなたはどこにいて、
なにをしていただろうか。
この日の深夜に世田谷一家殺人事件は起こった。
44歳の父、41歳の母、8歳の娘、6歳の息子という一家4人が惨殺された事件で、
犯人は未だに逮捕されていない。
ネット上にもさまざまな情報があり、
ちょっと検索しただけでも膨大な情報が出てくる。
この事件を風化させないためにも、
今回、その現場となったお宅まで歩いてみることにした。
スタートしたのは、小田急線成城学園前駅の北口。
ナビウォークで、現場までの最短距離を歩くことにした。
右に成城学園を見ながら、その横の道を北上。
一戸建ての家が続く住宅街だ。
千川という川があった。この辺りから全体が祖師谷公園である。
緑色に塗られた橋は「せきれい橋」と書かれている。
ここを渡り、テニスコート脇の道を行けば、現場はすぐだ。
現場は住所でいえば、上祖師谷三丁目23-26となるのだが、
すぐにわかるはずだ。
<警視庁>と書かれた赤い三角コーンが並べられ、
その前にひとりの制服警官が立っているからだ。
その先にあるのが、事件現場となった一家の家だろう。
「あの、写真撮っていいですか?」
一応、警察官に聞いてみると、名前を尋ねられた。
あわてて「下関マグロ」の名刺を渡すと
「本名も教えてください」と言われる。
本名もそうだが、このライブドアのブログで使うのだということなど包み隠さず話すと、
それらを逐一メモし、
「ちょっと聞いてみますから、待ってくださいね」
と、どこかに電話をしている。
しばらくやりとりをしていたが、電話を切ったら、
「ああ、どうぞ、撮ってください」
と言うので、一枚シャッターを切る。
警察官は「そうぞ、こっちに入っていいですから」と、
コーンを越えて先を歩く。どうやら家の前から写真を撮っていいようだ。
最初は警戒されていたが、一転、協力的になり、事件についても
「私はあまりわからないんですが」
と前置きしながらもいろいろ教えてくれた。
犯人は一晩ここにいて、一家4人を殺害した後にアイスクリームなどを食べていたのだそうだ。
そして、2000年12月31日の午前10時過ぎに犯人はここから立ち去っている。
散歩した日は27日だったが、ちょうど、時刻は同じくらいの10時過ぎだ。
警察官に「これから千歳烏山まで歩いてみます」と言うと、「ご苦労様です」と言われた。
「いえいえ、こちらこそ、ご苦労様です」と返し、現場をあとにした。
今度はGoogle マップで千歳烏山駅までの最短距離を歩くことにした。
都道118号という狭い道を歩く。一方通行ではなく、対面交通である。
車と車が道いっぱいですれ違い、人が歩くスペースはないくらいだ。
古い道なのだろう。小さなお堂と馬頭観音が並んでいる。
道は大きく北へ曲がる。ここからはまっすぐ、北へ行けば、千歳烏山駅だ。
千歳烏山駅へ到着。現場からは20分ほどだった。
ちなみに成城学園前から現場は30分ほど。
さて、10年前の12月30日の夜から31日の午前中、あなたはどこにいて何をしていただろう。
僕はまったく思い出せなかった。
しかし、この事件には懸賞金1000万円がかけられている。
ひょっとしたら、自分が犯人逮捕につながる有力な情報を持っているかもしれない。
そう思って、メモやら手帳、パソコンの中を探してみた。
するとハードディスクの片隅にその日のデジカメの画像がいくつか出てきた。
残念ながら、この日は自宅にいたようで、コンビニで買ってきた弁当の写真があるだけだった。
これを読んでいるあなたも今一度、パソコンなどに残っているこの日の記録をチェックしてほしい。
なにをしていただろうか。
この日の深夜に世田谷一家殺人事件は起こった。
44歳の父、41歳の母、8歳の娘、6歳の息子という一家4人が惨殺された事件で、
犯人は未だに逮捕されていない。
ネット上にもさまざまな情報があり、
ちょっと検索しただけでも膨大な情報が出てくる。
この事件を風化させないためにも、
今回、その現場となったお宅まで歩いてみることにした。
スタートしたのは、小田急線成城学園前駅の北口。
ナビウォークで、現場までの最短距離を歩くことにした。
右に成城学園を見ながら、その横の道を北上。
一戸建ての家が続く住宅街だ。
千川という川があった。この辺りから全体が祖師谷公園である。
緑色に塗られた橋は「せきれい橋」と書かれている。
ここを渡り、テニスコート脇の道を行けば、現場はすぐだ。
現場は住所でいえば、上祖師谷三丁目23-26となるのだが、
すぐにわかるはずだ。
<警視庁>と書かれた赤い三角コーンが並べられ、
その前にひとりの制服警官が立っているからだ。
その先にあるのが、事件現場となった一家の家だろう。
「あの、写真撮っていいですか?」
一応、警察官に聞いてみると、名前を尋ねられた。
あわてて「下関マグロ」の名刺を渡すと
「本名も教えてください」と言われる。
本名もそうだが、このライブドアのブログで使うのだということなど包み隠さず話すと、
それらを逐一メモし、
「ちょっと聞いてみますから、待ってくださいね」
と、どこかに電話をしている。
しばらくやりとりをしていたが、電話を切ったら、
「ああ、どうぞ、撮ってください」
と言うので、一枚シャッターを切る。
警察官は「そうぞ、こっちに入っていいですから」と、
コーンを越えて先を歩く。どうやら家の前から写真を撮っていいようだ。
最初は警戒されていたが、一転、協力的になり、事件についても
「私はあまりわからないんですが」
と前置きしながらもいろいろ教えてくれた。
犯人は一晩ここにいて、一家4人を殺害した後にアイスクリームなどを食べていたのだそうだ。
そして、2000年12月31日の午前10時過ぎに犯人はここから立ち去っている。
散歩した日は27日だったが、ちょうど、時刻は同じくらいの10時過ぎだ。
警察官に「これから千歳烏山まで歩いてみます」と言うと、「ご苦労様です」と言われた。
「いえいえ、こちらこそ、ご苦労様です」と返し、現場をあとにした。
今度はGoogle マップで千歳烏山駅までの最短距離を歩くことにした。
都道118号という狭い道を歩く。一方通行ではなく、対面交通である。
車と車が道いっぱいですれ違い、人が歩くスペースはないくらいだ。
古い道なのだろう。小さなお堂と馬頭観音が並んでいる。
道は大きく北へ曲がる。ここからはまっすぐ、北へ行けば、千歳烏山駅だ。
千歳烏山駅へ到着。現場からは20分ほどだった。
ちなみに成城学園前から現場は30分ほど。
さて、10年前の12月30日の夜から31日の午前中、あなたはどこにいて何をしていただろう。
僕はまったく思い出せなかった。
しかし、この事件には懸賞金1000万円がかけられている。
ひょっとしたら、自分が犯人逮捕につながる有力な情報を持っているかもしれない。
そう思って、メモやら手帳、パソコンの中を探してみた。
するとハードディスクの片隅にその日のデジカメの画像がいくつか出てきた。
残念ながら、この日は自宅にいたようで、コンビニで買ってきた弁当の写真があるだけだった。
これを読んでいるあなたも今一度、パソコンなどに残っているこの日の記録をチェックしてほしい。
コメント
下山事件など戦後の未解決事件の多くには、アメリカ軍の関与がうかがえる物が多くあります。
ありがとうございます。「上」が抜けてました。
訂正しておきます。
それにしても、本当に不可解な事件ですよね。
まず、動機がまったくわからないんですよね。
歩いてみると、不思議な感覚に襲われました。
コメントありがとうございます。
たしかにいろいろな歴史のある東京の散歩は楽しいですね。
神戸の散歩もワクワクしますよ。
大阪に住んでいた頃は、よく神戸の町を散歩しました。
機会があれば、いっしょに歩きたいですね。
今後ともよろしくお願いします。
こんな記事を見つけました。すでにご承知でしたらご容赦ください。
黒道が遣わした、プロの殺し屋
投稿者 行政調査新聞社 日時 2001 年 4 月 21 日 03:41:33
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/57.html
世田谷一家四人惨殺事件の暗部
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1184.html
犯人は奥様を殺す時、韓国語で(死後、意味が分かった)このあま、殺してやるから有難く思えと言った。目が覚めたら犯人が家の中を物色していた。住所は韓国内。日本の私たちの事件を担当している警察官は、犯人を知っていてもみ消した。犯人と繋がっている。この警察官にも復讐する。2014/12/15(月)霊言。
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