夕暮れ時に「西富久児童遊園」で初老のご婦人がブランコにのっているのを見かけた。
西富久児童遊園

たいていこのブランコは子供達がのっているのだけれど、そのご婦人は、淋しそうにいつまでもブランコに乗っている。そう、この公園は55年間の歴史に幕を閉じるのだ。このご婦人も子供の頃、ここで遊んだんだろうか。

「西富久児童遊園」告知


相手が誰か忘れてしまったけれど、以前、外苑西通りの端っこの近くに住んでいると話したら、
その方は、自分もそうだと言う。
聞けば白金台の目白通りのほうなのだそうだ。これが南端だとすれば、僕は北端、
靖国通りと交差する富久西の交差点の近くに住んでいるのだ。
青山あたりでは、キラー通りと呼ばれる外苑西通りだが、
いよいよその北端が少しのびようとしているのだけれど、
そのため、西富久児童遊園は取り壊されていく。

かつて、ここには、金網で囲まれていて、
バスケットのゴールなどがあった。
西富久児童遊園

その残骸がこんなかんじで積まれていた。
西富久児童遊園

木は切られていく。
西富久児童遊園

残っている木には番号がつけられている。
西富久児童遊園


そんな西富久児童遊園だけれど、明日の7/31のお昼12時半から
ここの西富久町会によってお別れ会が催される。
子供の頃遊んだ記憶がある人などは、最後の公園の姿を見てはどうだろう。


昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
クチコミを見る