六本木は坂の多い町だ。
今回は六本木三丁目にある坂をめぐってみた。
その範囲は六本木の交差点から六本木通り、外苑東通り、東京都道415号の
3本の道に囲まれた地域だ。
このあたりは旧町名の看板がけっこうある。
まずは六本木三丁目4番16号、
ここは六本木麻布市兵衛町と呼ばれていたそうだ。
この付近にあったのが丹波谷坂の看板。
もともと、谷に旗本の岡部丹波守の屋敷ができて、丹波谷と呼ばれていたんだけれど、明治になって新しく坂がつくられて、丹波谷坂と呼ばれるようになったんだそうだ。
その丹波谷坂と平行にあるのが、寄席坂。
坂の途中の北側に明治から大正三年にかけて福井亭という寄席があったために、寄席坂とよびならわすようになったそうだ。
この近くに長い坂があって、これがなだれ坂。
港区麻布六本木3丁目4番から、大泉寺、円林寺前を南へ上る長い坂。旧町名では、麻布今井町、麻布箪笥町、麻布市兵衛町の3町の境界上に位置しているそうだ。
このあたりから、麻生十番の方向へ。行人坂、行合坂などを見ながら進む。
そして、麻布十番のあべちゃんで一杯やる。
いい、散歩だねぇ。
江戸と東京の坂―決定版!古地図“今昔”散策
今回は六本木三丁目にある坂をめぐってみた。
その範囲は六本木の交差点から六本木通り、外苑東通り、東京都道415号の
3本の道に囲まれた地域だ。
このあたりは旧町名の看板がけっこうある。
まずは六本木三丁目4番16号、
ここは六本木麻布市兵衛町と呼ばれていたそうだ。
この付近にあったのが丹波谷坂の看板。
もともと、谷に旗本の岡部丹波守の屋敷ができて、丹波谷と呼ばれていたんだけれど、明治になって新しく坂がつくられて、丹波谷坂と呼ばれるようになったんだそうだ。
その丹波谷坂と平行にあるのが、寄席坂。
坂の途中の北側に明治から大正三年にかけて福井亭という寄席があったために、寄席坂とよびならわすようになったそうだ。
この近くに長い坂があって、これがなだれ坂。
港区麻布六本木3丁目4番から、大泉寺、円林寺前を南へ上る長い坂。旧町名では、麻布今井町、麻布箪笥町、麻布市兵衛町の3町の境界上に位置しているそうだ。
このあたりから、麻生十番の方向へ。行人坂、行合坂などを見ながら進む。
そして、麻布十番のあべちゃんで一杯やる。
いい、散歩だねぇ。
江戸と東京の坂―決定版!古地図“今昔”散策
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