下関マグロの“散歩生活”

下関マグロの“散歩生活”

東京の町を散歩します。散歩の途中で出会ったおいしい食べ物やおもしろいものを紹介します!

事件の現場

8月 16日

竹島問題で大久保通りの韓流ショップの客は減ったのか?

タイトル通り、韓国との間の領土問題は、
お互いの国にどんな影響を与えているのだろうか。

とりあえず、何回か前の記事で書いた新大久保駅周辺へ行ってみた。
ひやぁ。相変わらず人が多くて、歩道をまともに歩けない。


韓流女子が押し寄せる「イケメン通り」。

ここも人であふれている。
結論からいうと、新大久保界隈の韓流ショップは、
竹島問題には関係なく、これまで通り繁盛していた。

韓国語なまりの日本語で、メッセージボードを掲げ、
「お安くなっておりますぅ」
と叫ぶ韓国イケメンたち。
両手一杯にお買い物をして歩く日本人のオバサマたち。

平和なのか、なんも考えてないのか。
そんな終戦記念日の新大久保界隈でした。


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1月 2日

渋谷区幡ヶ谷の事件現場に足んだが、写真は撮れなかった

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

さて、今年一発目の散歩だけど、
旧年中に歩いたもの。

明日の1月3日といえば、まだ記憶にも新しい、
「渋谷区短大生切断遺体事件」
が発覚した日である。2007年のことだ。

渋谷区幡ヶ谷にある歯科医院の自宅兼診療所のビルで起きた事件で、
兄が妹を殺害し、バラバラにしたというものだ。
「お兄ちゃんには夢がない」
こんな言葉が流行ったりもした。
殺害したのは前の年の2006年12月30日。
発覚したのは1月3日である。

現場の最寄り駅は、京王新線幡ヶ谷駅。

京王線新線幡ヶ谷駅


幡ヶ谷駅からすぐの場所が事件現場なのだが、道に迷ってしまった。
地元の人とおぼしき方に
「あの、○○歯科医院があった場所はどこでしょう?」
こう尋ねてみたのだが、
「ああ、例の事件のあったとこね」
と言い、意外な言葉を続けた。
「今もやっているよ」
と、くわしい場所を教えてくれた。
ちょっと驚いた。というのも、現場はすでになくなっているのかと思ったのだが、
まだ両親はこの場所で歯科医院をやっているのだ。

複雑な気分で、とりあえず現場に足を運んでみた。
たしかに、普通に営業している。
このビルで兄が妹を殺害し、遺体をバラバラにしたのかと思うと、
複雑な気持ちになった。親の立場からすれば、加害者も被害者も自分の子供なのだ。
しかも、加害者の刑は確定し、現在は服役している。
写真は撮影せず、周辺を少し歩くことにした。

歩きながら、幡ヶ谷のラーメン店を検索。
「不如帰(ほととぎす)」という、名前のラーメン店が食べログでも高い点数だ。

そこへ行くことにした。
幡ヶ谷 不如帰


幡ヶ谷駅周辺は、狭い路地が続いている。
六道通り商店街というのがあって、そこから少し入った場所にお店があった。
幡ヶ谷 不如帰


11時45分。お店は開いたばかり。先客が2名。
自販機のいちばん上に「そば」とあって、これは醤油で、次に塩があった。
つけ麺もあるようだ。
とりあえず、「焼きのり玉そば」900円にした。
カウンターだけの店で、食券を渡すと、そのあとから次々とお客さんが入ってきて、あっという間に満席になった。

幡ヶ谷 不如帰


ハマグリの出汁だそうだが、実においしかった。
外に出ると行列ができていた。
幡ヶ谷駅周辺にはラーメン店もそうだが、
いろいろとおいしいお店もあるようで、また散歩したいと思う。

不如帰 ラーメン / 幡ケ谷駅初台駅笹塚駅

昼総合点★★★★ 4.0


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12月 30日

世田谷一家殺人事件の現場を歩いてみた

あなたは、2000年12月30日の深夜から翌31日の午前中、あなたはどこにいて、
なにをしていただろうか。
この日の深夜に世田谷一家殺人事件は起こった。
44歳の父、41歳の母、8歳の娘、6歳の息子という一家4人が惨殺された事件で、
犯人は未だに逮捕されていない。

ネット上にもさまざまな情報があり、
ちょっと検索しただけでも膨大な情報が出てくる。
この事件を風化させないためにも、
今回、その現場となったお宅まで歩いてみることにした。

スタートしたのは、小田急線成城学園前駅の北口。
ナビウォークで、現場までの最短距離を歩くことにした。
世田谷一家殺人事件の現場へ

右に成城学園を見ながら、その横の道を北上。
一戸建ての家が続く住宅街だ。

千川という川があった。この辺りから全体が祖師谷公園である。
世田谷一家殺人事件の現場

緑色に塗られた橋は「せきれい橋」と書かれている。
ここを渡り、テニスコート脇の道を行けば、現場はすぐだ。

現場は住所でいえば、上祖師谷三丁目23-26となるのだが、
すぐにわかるはずだ。
<警視庁>と書かれた赤い三角コーンが並べられ、
その前にひとりの制服警官が立っているからだ。
その先にあるのが、事件現場となった一家の家だろう。
世田谷一家殺人事件の現場

「あの、写真撮っていいですか?」
一応、警察官に聞いてみると、名前を尋ねられた。
あわてて「下関マグロ」の名刺を渡すと
「本名も教えてください」と言われる。
本名もそうだが、このライブドアのブログで使うのだということなど包み隠さず話すと、
それらを逐一メモし、
「ちょっと聞いてみますから、待ってくださいね」
と、どこかに電話をしている。
しばらくやりとりをしていたが、電話を切ったら、
「ああ、どうぞ、撮ってください」
と言うので、一枚シャッターを切る。
世田谷一家殺人事件の現場

警察官は「そうぞ、こっちに入っていいですから」と、
コーンを越えて先を歩く。どうやら家の前から写真を撮っていいようだ。
世田谷一家殺人事件の現場

最初は警戒されていたが、一転、協力的になり、事件についても
「私はあまりわからないんですが」
と前置きしながらもいろいろ教えてくれた。
犯人は一晩ここにいて、一家4人を殺害した後にアイスクリームなどを食べていたのだそうだ。
そして、2000年12月31日の午前10時過ぎに犯人はここから立ち去っている。
散歩した日は27日だったが、ちょうど、時刻は同じくらいの10時過ぎだ。
世田谷一家殺人事件の現場

警察官に「これから千歳烏山まで歩いてみます」と言うと、「ご苦労様です」と言われた。
「いえいえ、こちらこそ、ご苦労様です」と返し、現場をあとにした。

世田谷一家殺害事件 お堂と馬頭観音


今度はGoogle マップで千歳烏山駅までの最短距離を歩くことにした。
都道118号という狭い道を歩く。一方通行ではなく、対面交通である。
車と車が道いっぱいですれ違い、人が歩くスペースはないくらいだ。
古い道なのだろう。小さなお堂と馬頭観音が並んでいる。
道は大きく北へ曲がる。ここからはまっすぐ、北へ行けば、千歳烏山駅だ。
世田谷一家殺害事件 千歳烏山駅へ


千歳烏山駅へ到着。現場からは20分ほどだった。
ちなみに成城学園前から現場は30分ほど。
世田谷一家殺害事件 千歳烏山駅


さて、10年前の12月30日の夜から31日の午前中、あなたはどこにいて何をしていただろう。
僕はまったく思い出せなかった。
しかし、この事件には懸賞金1000万円がかけられている。
ひょっとしたら、自分が犯人逮捕につながる有力な情報を持っているかもしれない。
そう思って、メモやら手帳、パソコンの中を探してみた。
するとハードディスクの片隅にその日のデジカメの画像がいくつか出てきた。
残念ながら、この日は自宅にいたようで、コンビニで買ってきた弁当の写真があるだけだった。
これを読んでいるあなたも今一度、パソコンなどに残っているこの日の記録をチェックしてほしい。

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12月 2日

市川海老蔵の事件の現場はまだ血痕らしきものが残っていた

マスコミからネットまで、いろいろな話が交錯している市川海老蔵さんの事件。
現段階でもはっきりしたことはわかっていない。
憶測が憶測を呼ぶかんじで、報道やネットでの書き込みは加熱する一方だ。

まあ、百聞は一見にしかずということで、
ワイドショーなどで報じられている現場に行ってみることにした。

スタートしたのは乃木坂駅。外苑東通りを国立新美術館方向へ歩き、
六本木通りに出る。

ネットの書き込みなどで、事件のあった25日の夜、
最初に海老蔵さんがまず最初に知り合いたちと飲んでいたのは
「マンディ」というお店らしいということがわかった。

どういうお店なのかは、お店のHPを見てもらえればいいだろう。
MANDY

「おかまレストラン」なのだそうだ。
おかまバーではなく、レストラン。
ここは有名人たちの間でも人気のお店なのだそうだ。
場所は、六本木通り沿い。住所でいえば、西麻布1丁目にある。
六本木ヒルズとは反対側の並びにあるオリエンタルビルというビルの地下一階だ。
一階には、有名な中華料理屋さんが入っている。

オリエンタルビル


ビルの写真をデジカメで撮っていると、初老の紳士に声を掛けられた。
近くに住んでいる人らしい。なんでも、海老蔵さんの事件の現場を散歩がてら見に来たらしい。
やっぱりこういう人いるんだね(って、自分もそうか。。。)
で、この人は事件の現場に足を運ぶマニアの散歩者らしい。
「小室哲哉の時も行きましてね……」
などと、これまで自分が行った事件現場の自慢話をしている。
しかし、今回は
「よくわからないんですよ」
と言う。そこで、現場にいっしょに行くことにした。

ワイドショーなどでよく出てくるのは、
この同じ六本木通り沿いにある。
坂をくだりきったところが西麻布の交差点で、渋谷方向へは再び坂をのぼっていく。
と、「Barbizon27」という看板が見えてきた。「バルビゾン」と読むのだろうか。
ペンシル型のビルで、広めの外階段がある。

バルビゾン27


このビルの11階にある店が事件の現場らしい。
ワイドショーによれば、6階へも移動したのだそうだ。
海老蔵の血痕

外階段の壁には拭き取られているがまだ血痕らしきものが見えた。
画像ではわかりづらいのだけど……。

ちょうど、うかがったときは、ビル関係者の方が掃除をしている最中。
しかも外階段の入り口には、次のような注意書きがあった。
バルビゾン27


マスコミをはじめとして、多くの野次馬たちが訪れから、
こういうものを急きょ用意したというかんじであった。


事件当日、すでに夜は明けていて、
血まみれの海老蔵さんが六本木通りを渋谷方向に
走っていたそうだ。

ワイドショーによれば、海老蔵さんは、いったん六本木通りから裏路地に入り、
そして、再び六本木通りに出たとのこと。足跡をたどってみた。
たしかに裏路地はある。

西麻布2丁目


そして、タクシーを拾った海老蔵さんは目黒区青葉台の自宅に向かった。
ただ、六本木通りのこの側では、タクシーは渋谷方向ではなく、西麻布方向だ。

バルビゾン27


再びバルビゾン27のビルまで戻ると、ちょうど血痕などが洗い流された水が、歩道を流れているところだった。
11月 25日

行ってきました! 防衛省の見学ツアー!

防衛省は一般の人でも事前に予約すれば見学できる。

というわけで、本日、11月25日、防衛省の市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)に参加してきた。
きょうがどういう日かといえば、前回のブログでもご紹介したが、
三島由紀夫がクーデターを起こそうと、市ヶ谷駐屯地に乱入し、自決をした日である。

この日、午前の部は満員だったが、幸い午後の部が空いていた。申し込んだのはちょうど一週間前の18日だった。

集合してきた参加者は100人くらいだろうか。けっこう多い。
11月25日で三島由紀夫の命日だからこんなに多いのかと思ったら、
そうではないようだ。
案内の自衛官の方による説明では、
10月末にこのツアーのことがNHKのテレビで取り上げられ、
以来人気となって、とにかく予約を取るのが大変なのだそうだ。
ネットだと1週間くらい先なら予約できるというかんじだったが、
電話の場合はつながりにくいのだとのこと。

防衛省市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)



というわけで、13時10分に受付をすませ、ツアーに参加した。
防衛省の敷地の中を散歩して見てまわる。
ただし、自由にあれこれ見学できるわけではなく、集団で決められたコースを歩いて回るのである。
最初の注意では、途中、先に帰ることもダメだと言われる。
まずは、エスカレーターで上にあがる。

防衛省市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)



防衛省の正門は外堀通り沿いにあるが、建物がある敷地はそこから高い場所にあるのだ。

防衛省市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)


儀仗広場へ向かう。ここは、海外の要人たちがこられた場合、
ここでむかえるのだそうだ。
それにしても紅葉が美しい。
三島由紀夫が自決したあの日も、こんな紅葉があったのだろうか。
庁舎A棟から順に案内されて、いちばん奥まった場所にある市ケ谷記念館へ。
防衛省市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)


市ケ谷記念館は、かつて庁舎A棟にあったのだが、
保存のためこの場所の移築されたのだそうだ。
戦後ここは、極東裁判が行われた場所である。
それ以前は、陸軍の参謀本部、その前は陸軍士官学校であった。

士官学校時代の校長室はその後、陸軍大臣室となり、自衛隊の時代は陸上自衛隊東部方面総監の執務室だった。
そして、三島由紀夫が東部方面総監を人質にとったのはこの部屋である。
案内をしてくださる若い女性が、三島由紀夫の事件のときについたドアの刀傷あとを紹介してくれた。

防衛省市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)


多くの人がカメラを向ける。実に生々しい刀傷だった。
防衛省市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)


ふとこの執務室の窓を見ると、三島由紀夫が自衛隊員たちに決起を促したバルコニーがあった。
防衛省市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)


このあと、売店へ寄ったりして、ツアー終了。2時間10分のツアーだった。
午前のツアーのほうがもう少しいろいろ見ることができるみたいで、次はそちらに参加してみたいと思う。

昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃 (幻冬舎新書)
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