20代の頃は、東京の街を50ccのバイクで走り回っていた。
30代になってからは乗り物をバイクから自転車に替えた。
そして40代の半ばから散歩を始めた。
歩くことがバイクや自転車での移動と違うのは、
線の移動か、面の移動かである。

乗り物は道に詳しくなる。街を道(線)で理解する。
それに対して、歩くことは路地など脇道などをいくつも歩きながら、
街を面で理解していく。
自分にとって、それを実感させてくれたのは早稲田という街である。

大阪の大学を出て東京に出てきた僕は、会社の同僚が早稲田大学出身の人で、
彼の案内でよくこの街にはきた。会社の営業車で、
サクッと早稲田通りの「キッチンオトボケ」へ何度かやってきた記憶がある。
その後、自転車で昔ながらのラーメンを出す「メルシー」だとか、今はもうないけれど、
「チョコとんかつ」を出す店などにいった記憶がある。

それから、仕事の打ち合わせで何度か早稲田にきたことがある。
そのときは電車できた。電車移動がいちばん街を理解できない。
地図を見ながら先方の会社に行き、再び駅まで戻った。
早稲田という街をわかったようでわかっていなかった。

早稲田の街は、中心を早稲田通りが貫いている。
早稲田通り沿いに東京メトロ東西線の早稲田駅もあり、街のメインストリートはここだ。
早稲田通りは、西に行けば高田馬場駅、東に行けば神楽坂駅がある。

いろいろなスポットが早稲田にはあるのだが、実際それらを巡るようになったのは、
歩くようになってからだ。なぜかそれまでは素通りすることが多かった。
たとえば、地下鉄の出口からほど近い、
早稲田通りぞいにあるお地蔵さんがあることがわかったのは歩くようになってからだ。
落馬地蔵

早稲田通りは、歩道が狭くて歩きづらいから、早稲田の街は散歩に適していない、
最初はそう思っていたのだが、早大通りという早稲田大学の正門からのびる歩道の広い道が
とても歩きやすいことを知り、早稲田こそ散歩に適した街だと実感した。
そして、訳あって、それまで住んでいた四谷から早稲田に引っ越した。

住むと、さらにその街のことがわかる。
神田川沿いにある「椿山荘」や「関口芭蕉庵」にもよく出かけた。
夏目漱石の生まれた家のあった場所や、その後住んだ家の場所などもよく出かけた。

しかし、住んでみないとわからないような場所がある。
たとえば、定食屋などだ。
あまり知られていないけれど、美味しくて安い定食屋さんを紹介しよう。
「お食事処 三福」である。
お食事処 三福 

実はこれまでこのお店の正式名称を知らなかった。
勝手に「三福食堂」と呼んでいたのだが、そうではなかったようだ。
今回食べログを見て知った。
かつて僕は早稲田鶴巻町に住んでいた。今から数年前のことだ。
そのころはこの定食屋さんによく通ったのだが、今は引っ越してしまい、
本当に久しぶりの訪問だ。
もっとも散歩の途中で外観だけは何度か見ていたが、訪問するのは数年ぶり。
ここは、お婆さんとその息子がやっているお店だ。
お婆さんが高齢なので、まだお元気だろうかと少々心配しながら訪問。
お店に入ると、そのお姿を拝見してホッとした。
以前お話をうかがったのだが、
226事件のときに女学生だったというのから
察するに大正生まれの方だろう。
内装とメニューが変わっていた。
以前から日替わりの定食は500円だったが、
いまはその他の定食もみんな500円になっている。
お食事処 三福 メニュー

黒板に書かれている「本日の定食」は以前と同じである。
定食はたいてい揚げ物だったが、きょうもそう。
お食事処 三福 きょうの定食

ご飯は、並ライス>小ライス>半ライスという具合。
定食のご飯を半ライスにすると、50円引きで450円となる。
なんという安さだろうか。
時刻は12時少し前、嫁と二人で訪問したのだが、入店したときはまばらに埋まっていた席も
どんどん客が入り、お昼過ぎには満席状態。
僕は、「まるじゅう」と呼ばれる「本日の定食」を注文。
嫁は煮魚定食。2人とも半ライスでお願いした。
お食事処 三福 煮魚定食

鯖の味噌煮だった。
少しもらったけれど、これが実にうまい。
お食事処 三福 本日の定食

日替わりはボリューム満点。ところで、日替わり定食のことをここでは、
「まるじゅう」と呼ぶ。以前、なぜかと聞いたことがある。
それは、先代、つまりお婆ちゃんのダンナさん、息子さんの父親が店をやっていたとき、
伝票に「本日の定食」と書くのは面倒なので、○の中に十の字を書いていたのが始まりだそうで、
以来、「まるじゅう」と呼ぶようになったのだそうだ。

さて、会計をすると2人で900円。安いねぇ。うれしい。
定食を食べて、お腹いっぱいになったところで、神田川方面までちょっと散歩して帰った。

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